私は絶叫だ。
しんと静まり返った夜明けのまほろ町を、一時の激情に駆られて走り抜ける、悲痛な絶叫だ。駿足を以て鳴る競走馬のように、あるいは、すぐそこまで迫った冬が送りこむ風のように、私は素早くあちこちの通りを駆け抜けていく。しかし、私に関心を示す者は少ない。公園付近を警邏中のがさつ者の警官も、三階建ての黒いビルにこもって相変らずろくでもない密議を凝らす、いかつい顔の三人も、むずがる子をなだめながら夫の相手もする若過ぎる母親も、転校して行った好きな同級生に奇しくもバスのなかで巡り合えて眠れない女子高生も、あくまで私意を押し通す寂しい一徹者も、やることなすことまだるっこい愚者も、まだ手にしたわけでもない大金をあてこんでしこたま酒を呑み、「ざまあみろ!」と怒鳴りながら丘の上のわが家へ帰って行く勤め人も、頭もわるく、寝相もわるい博雅の士も、大鼾をかいて眠る仔熊にそっくりなむく犬も、明るく笑う保菌者も、かれらは皆一瞬息をとめはしたものの、次の一瞬にはもう私のことを忘れてしまい、ふたたび思い思いの夜の波のまにまに漂う塵と化す。
私自身ですら、一体何者の口から飛び出したものやらすでに忘れている。それでも私は棄て身で敵陣を突破する兵士のように闇雲に走り、四囲の暗黒の山々にぶつかって跳ね返され、無人のボートがひそかに死者の魂を運ぶ湖に吸い取られ、消え、あとは事も無しだ。
(11・18・土)
丸山健二×ガジェット通信
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